霊識の初覚醒(27)
恐怖と不安は、霊識が初めて覚醒した者の心境である。この現象がなぜ起こるのか。初覚醒者は体質が敏感になり、法界とつながることができる。しかし、善なる法界とのつながりは少なく、鬼や魔に取り憑かれることが多い。鬼に迷い、魔に幻惑され、自ら解放される方法がわからない。
今の人々は怠惰で強固である。名師を探し、一つの法を求めればこの困難な状況が解決できると考えている。一切の心を自分に残さず、自身に努力をしようとはしない。名師の神通力を信じ込み、名師を見つければ何らかの困惑も解決できると思っている。人生の道は自分自身で歩むものであり、名師もあなたの代わりには歩けない。生活の困惑や心の束縛は誰が解いてくれるだろうか。自ら縛ったものは自ら解かなければならない。仏も力を貸すことはできない。
なぜ初覚醒者は多く不善なる法界とつながるのか。それはすべて自身の心から起こる思念によるものである。善悪の思念によって束縛されている。常に善なる思念を発することで善なる法界とつながり、不善なる思念を発することで不善なる法界とつながる。世間一般では認識上の善悪とは、個人が物事について衡量し区別するものであり、誠実から生まれたものではない。善から生まれるものには私心が含まれているため、それゆえに善もまた不善となり得る。
名師を求めて玄関一指で悟りを得ようという考えは愚者の戯言である。木に登って魚を求めるような非現実的なことである。道はあなた自身にありながら遠くへ求めている。仏とは自心によって成り立ち、道とは自心によって悟られるものである。迷っている時には衆生であり、悟った時には仏心が起こる。衆生と仏はいずれもあなた自身であり、明瞭さと不明瞭さ、悟りと未悟りはいずれもあなたの心によるものである。
by-劉鴻銘老師