慈悲と智慧
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世の中には慈悲深い師匠が二種類います。一つは母親のようなもので、もう一つは父親のようなものです。
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母親の慈悲は、あなたに温もりを与え、愛を注ぎ、支えや喜びを提供します。時には虚偽の小さなおもちゃ——喝郎鼓や木馬、木牛を与えたり、一枚の黄葉を黄金だと言ったりします。彼らはあなたを少し「騙す」ことを気にせず、その目的はあなたをその瞬間に楽しませることです。母親の慈悲は一般的に「与える」形であり、その目標は今この瞬間にあります。
父親の慈悲は一般的に異なります。彼らはあなたに合わせたり、同調したりせず、あなたの悪習慣を容認しません。彼らはしばしば厳格に接し、冗談を言ったり遊んだりすることなく、あなたを欺くこともしません。彼らは一時的にあなたを楽しませるために虚偽のおもちゃを与えるつもりはなく、真実や真理だけを提供します。父親の慈悲は一般的に「奪う」または「取り去る」形であり、その目標は一時的なものではなく、究極的なものです。
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禅宗の師匠の慈悲は父親型です。
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時には私は父親の方法が好きであり、時には母親の方法が好きです。それは子供によって異なります。非常に頑固な子供や物語で長く絡まっている子供には、私は父親の方法とその慈悲が好きです。一方で無明が深く眠りすぎて苦しみが多い子供には、私は母親の方法とその慈悲が好きです。
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慈悲の背後には智慧があります。もし慈悲が智慧なしであれば、それは世間のお父さんお母さんによる教育や子供への接し方になります。智慧の背後にも慈悲がない場合、それはただガラス細工や雪蓮花となり、この世では全く役立たず(実用性がない)か、雪山で千年隠れていて人々によって一度使われるだけです。
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悲と智とは、一人の仏陀の二本足であり、それに依存して諸仏が人間界を旅します。悲と智もまた諸仏の両手であり、右手で智恵を授け、左手で慈悲を捧げ、不足している智恵ある者には智恵を与え、不足している愛ある者には慈悲を与えます。悲と智は並んだ蓮花として諸仏の心中に植えられています。
by-台湾無畏如来芽大円満禅修センター
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