霊識の初覚醒(16)
霊識が初めて覚醒する者は、この段階に入ったばかりで、いくつかの混乱を経験します。なぜなら、彼は意識と霊識の間で引き裂かれているからです。一方は習慣的な感覚であり、もう一方は
今までにない感覚(動的エネルギーと法界を知覚する存在)です。初覚醒者は疑念を抱くことがあります。まるで体の中に別の人(非自発的な動力)が住んでいるようです。しかし、自身の感覚意識は明確です。この二つの感覚が同時に存在しています。この時、恐怖や疑念が同時に湧き上がります。もし善い縁や善知識による導きがなければ、自心は恐怖や疑念によって束縛され、意識が混乱し始めます。人生の負の出来事がより強烈に幻化されることになります。また法界との接続から得た情報も、識心によって幻化され想像されます。あなたが当然と思う状況として。しかし、その情報は曖昧で不完全であり、しばしばあなたが当然と思う状況には達しません。また挫折も生じます。もし意志力が弱く、それを抑えられない場合、恐怖や不安に制約されてしまいます。この時、心はさらに混乱します。
もしこの状況に沈んでしまった場合、法界の生き物に依存し、他者の身体を借りて修行することになります。そして善悪を区別できなくなることがあります。もし陰界の生き物に依存された場合、識心はそれによって惑わされ、その身体を占有されます。その結果、心智は時には別人になったようになります。顔色も暗く、不気味になり、争いや弁論を好むようになります。言葉や態度も強圧的で悪質になり、自大狂妄となります。この時身体と心はすべて陰界によって支配され、自主性を失います。行動には一定の基準がなく、ときには常理に反した行動を取ることさえあります。さらには自傷行為にも及びます。そして深刻な場合には他人にも危害を加えることがあります。その結果予測できない行動を取ることになります。また自ら修道や徳養について語り、人々に修行や善行を勧めます。しかし、その言葉には脅迫的な意味合いが含まれ、人々に恐怖心を抱かせます。そして自ら苦修していると言いながらも争いや貪欲から離れられず、一貫性がありません。それこそ魔道中人として自己本性を失っています。
初覚醒者は修行過程で目の前の不安定さと不安を克服する方法について考えることが最大の課題です。自分自身に合った方法を見つけ出し、自心を徐々に安定させる必要があります。一番早く簡便なのは古人から学ぶことであり、聖賢経典(経文や書籍)を学ぶことです。それによって正気・正知・正エネルギーを育成します。有名な師匠たちを訪ね回る必要はありません。在宅でも心が安定できればどこでも心は安定します。在宅でも心が安定できないなら、有名な山や聖地へ訪れても同様です。それぞれの経典では名相こそ異なりますが、本質的には心性から外れるものではありません。それぞれ人間性とは何か、その本質について述べています。そして心とは何か、それによって自己本性への理解へと導いてくれます。それこそ無始以来存在していたものです。一朝一夕ではありませんが、自身の心も徐々に安定させることができます。
もし体内に一種の動的エネルギーが流れているならば、静かな平坦な草地へ行きましょう。太陽の日差しの下でリラックスしてください。両足自然と立ち、おもわず「静」と思うだけで自然になります。その動的エネルギー感じ、その存在と共鳴してください。それを抑圧せず、そのエネルギー主導で手足自由自在に動いてください。そのまま転げたり横になったり座ったりしても構いません。ただそのエネルギーを見るだけです。それこそあなた自身から未だ現れていないエネルギーなのです。他から来たものではありません。その動的エネルギーと共鳴し分け隔てなく感じてください。それこそ体内深層から湧き上がる力なのです。その存在になじみ、それとの調和(それ自身運動だと思う)してください。不安や恐怖感はいりません。一段落するとそれ自身自然とあなたと融合しますので、自身意識して動いても良いでしょう。しかしそれを抑圧すると、それは無秩序になるでしょう。そして身体無意識的な震えとなります。その動的エネルギー散逸させず、人との関係でも無意識的につい震えてしまうでしょう。他人から驚いた視線向けられることで非常に気まずくなる可能性があります。また生活上でも困難さにつながります。