元神の修練と向上
西洋で言う「魂」は、東洋の修練界では「元神」と呼ばれています。修練界では、仏教でも道教でも、元神は不滅であると考えられています。
生命が死ぬということは、ただ表面的な肉体の死に過ぎず、その元神は再び転生し、新たな生命の旅に入ります。また、人間だけでなく万物には魂(元神)があり、この点は科学によっても早くから証明されています。
1966年、アメリカ中央情報局の測謊器専門家クレーブ・バックスター(Cleve Backster)は、植物に対して一連の科学実験を行い、植物が意識を持ち、高度な感情活動を行い、人間を識別し、超感覚的な機能を持つことを証明しました。バックスターの実験は世界中で大きな反響を呼び、多くの国で繰り返し試験が行われ、その真実性が確認されました。
修練界と科学者が生命について探求する際の最大の違いは、修練界が宇宙全体を微視的から巨視的に見るのに対し、科学的方法論は一つの点(例えば分子)から始まり、それを深く研究していく(分子、原子、原子核、陽子……)ということです。
したがって、修練界では、一層の分子全体が一つの空間であり、その分子を構成する原子はさらに大きく微視的な空間であると考えられています。したがって、一つの生命が死ぬということは、その表面身体を構成する分子構造が解体されるだけであり、そのより微視的な層(原子からなる身体)はその原子空間内に依然として存在しています。
元神(魂)について言えば、修練界ではそれこそが真に永遠なる生命であると考えられています。人体や他の動物や植物も、それは元神(魂)の載体に過ぎず、その生命過程を完遂するための依拠です。これが人々が言う輪廻転生です。
人は母体から離れ、生まれると同時に自身の奇経八脈を閉じてしまい、陰神(霊性)も閉じて開かず、元神(元霊)は隠れて現れません。全身全霊は一種の静寂状態に置かれます。ここから後天的な道が始まり、五臓六腑機能を運転させて後天的な十二経絡を形成します。
Ps. 元神について詳しく知りたい方は、「潜能と霊修(丹道修真)」の記事をご参照ください。
修練界では、一つの元神(魂)が地獄で苦しみながら借金返済するか、人間や動物や植物として転生するか、それともより高次な生命になるかは、その前世での善悪によって決定されると考えられています。
これについて独立したライター諸葛明陽氏は次のように述べています。「『元神不滅』というテーマは非常に大きな話題であり、生死や宇宙倫理など人類科学認識を超えた領域に関わっています。ランサなど科学者たちによる魂不滅論証には必ずしも完全正確とは言えませんが、それでも非凡な意義があります。それによって科学的禁忌が打破され、人々は意識や生命そのもの、本当の意味、人間と宇宙との関係、および善悪行為による結果について再考するきっかけとなります。」
この生涯で修行との良縁に出会ったならば、それをしっかり掴むべきです。一層一層進む課題こそ、本来の霊性をさらに純粋化する過程です。本来持っている資質とは、このようなプロセスによって精進向上できるものです。
日々精進し、一念一覚、本来相応しい虚実も最終的には見極められるでしょう。
内面的には法を増し外面的には縁を増すこと、それこそ我々の課題です。
法と縁を増すことで徳と智慧も共進し、多様な波乱万丈の日々人生旅路にも対応できるようになり、自身心性戒律も明確になります。
三無漏学には「戒律・禅定・智慧」の三つがあります。それぞれ「戒から定生じ,定から慧発す,慧起こして修す」と言われます。
戒律——道徳品行を完璧化する;
禅定——心静かな状態へ努める;
智慧——智慧育成。
「戒・定・慧」はそれぞれ人間内面への「貪・瞋・痴」の三毒への対治となります。
1. 戒律によって違反性煩悩を取り除く;悪事防止、自制こそ戒律です;戒律~貪欲心抑制;
2. 禅定によって困惑性煩悩取り除く;思慮停止静寂こそ禅定です;禅定~怒り心抑制;
3. 智慧によって潜伏性煩悩取り除く;悪事破壊真理証明これぞ「智慧」;智慧~愚痴抑制。
所謂「心収めて戒となり,戒より定生じ,定より慧発す」、
最終的には学び修行する者たちへ智慧解脱煩悩究極涅槃へ至らせます。
《菩提》とは世俗煩悩断絶して涅槃達成への智慧です。
三者相互強化,相輔相成,欠けてはいけません。ただ正しい三無漏学精進して初めて最終解脱への道へ至ります。戒律・禅定・智慧,常に法増加及び縁増加への良指標です。
Ps. 戒律・禅定・智慧,即ち三無漏学とは三界生死結縛煩悩解脱及び漏尽通達への修行法です。三無漏学とは八正道まとめ:八正道中正語・正業・正命為戒学,正精進・正念・正定為定学,正見・正思維為慧学です。
by-鳳凰山脈 慈凰宮