霊識初醒(15)
修行は苦しいものですか?修行には苦行が必要ですか?いくつかの言葉を見てみましょう。修行は至る所で試練を与えられます。苦難は常に存在します。だから修行は苦しいのです。苦しみから修行を始めなければなりません。
では、苦しみはどこから来るのでしょうか。それは天から与えられるものではありません。また、神や仏、菩薩があなたを試すために強制的に与えるものでもありません。それはあなた自身の心が想像し、得失を計算することから生じます。そして外界の環境や事柄はあなたの手の届かないところにあります。不満足であり、思い通りにならず、求めても得られず、得ても失ってしまいます。そのため内面的な感覚意識が次第に感情をネガティブな方向へと導き、多くのネガティブな思考が一身に集まります。自分を嘆き悲しむことになり、自分の心境を変えることもできず、この状況から脱出することもできません。逆に、この身体と心の煎熬に溺れてしまいます。この時、生きること自体が苦痛となります。
霊識初醒者とは、修行への扉を開く者です。人生の不順について常に受け取るメッセージは、「人生の貧困」「苦難」「挫折」「集まりと離散」はあなたが受けるべき運命であるということです。あなたはこの生で天命を持って生まれてきたため、天から特定の使命が与えられています。そのため、あなたの人生にはこのような試練があるべきなのです。すべての苦難や挫折はあなたを磨き、試すために存在しています。このような考え方を認め、それを受け入れるならば、あなたは霊的覚醒への道で困難な道を歩むことになります。それは自己反省や懺悔ができず、人間存在の真理を理解していないからです。人生経験とはあなた自身の思念によって形成されます。すべての行動はあなた自身によるものです。「学業」「愛情」「仕事」「結婚」「家庭」の不完全さや不順遂さは、あなた自身の思念による偏差なのです。そして失敗や挫折を他人や時期によるものだと責め、自分自身には責任がないと思っています。その結果として心には恨みや怒りが満ち、自分以外への非難となります。その怒りによって判断力も鈍り、一歩一歩失敗へと向かう人生になってしまいます。
もしあなたが人生は苦しいとか修行は苦しいと思うなら、それは間違った道を歩んでいるということになります。仏教では、人々が修行する理由とは「苦しみから離れ楽しみを得る」ためだと言われています。しかし今、苦しみを師として受け入れ、その道を進むならば、覚醒への道筋は遠くなるでしょう。修行には他に方法などありません。ただ自分自身に求めていけば良いだけです。他者との関わりについて善悪を見る目で検証し、不善を去り善を残してください。他者への感謝の気持ちを常に持ち続けましょう。「壇経」にはこう書かれています。本当に修行する人間ならば、この世間の過ちを見ることなく、自身の観点で他人を見る善悪について判断してはいけません。それこそ心によって計算された比較や測定によるものだからです。他人にも何らかの成果がありますので、その善悪についても判断する能力などありません。一度でも評価したり非難したりすると、お互いへの恨みだけが増すだけであり、自分にも害(身体的・精神的)となりますし、相手にも無益(争いや怒り)となります。
by-劉鴻銘老師