霊修と修道
修行や修道を始める前に、まず自己反省を行い、自分がどの面で十分にできていないか、または退道心が生じていないかを考えてみましょう。現代社会では、多くの人々が自分に有利な方向だけを考え(自己中心的)、他者の存在価値を無視しています。
大道の霊修は、肉体そのものが持つ生まれつきの智慧根から徐々に悟りを開く、または瞬時に悟る法門です。禅を参じる修行者は、自ら証明し、自ら解脱するために努力し、三界六道の輪廻から脱することを目指さなければなりません。
功徳の蓄積は、布施によって行うことができます:財施、法施、無畏施などの三つの施しによって功徳を積み重ねます。我々は霊子として転生し人間となった際には、まず自分自身の霊性本来の霊源(源頭)を探し求め、その後霊体と肉体が融合した後には、生涯にわたる罪業を悔い改める必要があります。そして修行には相当な苦労が必要です!
努力して修練することで:静坐、禅坐、禅定、訓練された身体や動き(動禅)、既に証道した仙仏の経典や善知識を熟読し、呪文を唱え、その経義(第一義諦)など様々な段階で修練し、自身の霊格を向上させ、高めていくことが求められます。
もしこの機会があれば~三界法眼を開くことができたならば、更に感謝の心で有情・無形の众生に利益をもたらすべきです。この能力で自慢したり顕示したり遊んだりしてはいけません。我々は過去にもそのような実例に遭遇しましたので、その瞬間遊んでいると次には法によって遊ばれることになるでしょう!
霊的な洞察は肉眼では見ることのできないものであり、主に任督二脈がこの時点で通じています。しかし神通(天眼や三界法眼)を持つ者は無形界虚相中の実相を見ることができます。
慧眼には有形と無形があります。まず罪を贖う必要があります。その際指導している師父は香を焚いてあなたを助け入れさせます。そして禅定へ至り三位一体となる段階へ進むことで手印も結び、自ずと現れるようになります。霊気があなたの肉体内で形成されて動き始めます。
正しい霊性が正式にあなたへの指導となった後、それもまた顕現して入定することになります。原霊が現れた瞬間、その出身や原霊由来(霊源)は自然と明らかになります。原霊出現後は奉献・犠牲・感謝の心で未来の霊修への道筋へ進むでしょう!
あなたの指導師父(明師)は次なる修練課題について教えてくれるべきです。この人生で何か成就したいならば常に無形界から与えられる通告受け入れなければなりません。それ以降あなたの道心や精進度合いについて試練が続いていくでしょう!
魂不滅及び霊格向上について確認するためには普段から「行」「住」「坐」「臥」の中で常時精進し続ける必要があります。これによって魂や身体を鍛え直し(行功立德)、過去への贖罪や恩赦求めたり功徳蓄積したり宿願清算したり祈祷(懺悔・祈願)する必要があります。そして誠意も必要です!
三昧及び三蔵とは努力してこそ得られるものです。
Ps. 三昧(サンスクリット語samadhi)または三摩提とも呼ばれています。サンスクリット語から音訳され、中国語では正定と訳されます。これは邪念から離れて心を一つ所に安住させ、不散乱な状態になるという意味です。一般的な修行者は止心一処~
(または一境)の安定状態として「定」と呼びます;昏沈や散乱から離れて平等な心保持する状態として「等持」と呼びます。不散乱で静寂さ保持するこの状態こそ三昧なのです!
三蔵とは仏教用語であり、「経」「律」「論」の3種類別々のお経類全般です: ⁕経蔵 ⁕律蔵 ⁕論蔵 これら3つ合わせて三蔵または三蔵十二部経と言います。
三蔵とは大藏経も指します。特に南伝仏教パーリ語大藏経について言及します。仏教高僧である経・律・論三蔵すべて精通している者は「三蔵法師」と称されます;経蔵精通者は「経師」、律蔵精通者は「律師」、論蔵精通者は「論師」と呼ばれています。
心・法・道について学ぶ上では明師による教導・指摘・教訓なしでは、自身の修行観念にも偏差が生じ、「尊師重道」に問題も発生します。一人自習だけでは限界があります。
根器と智慧根両方備えた全ての霊修者・修行者、それこそ世代累積された福慧資糧得難きものなのです! 無形なる精神性及び有形なる肉体、この二つとも聖なる仙仏先賢のお力添えによってゆっくり高次元へ導かれていくことでしょう。
もし修行者や靈修者が真心誠意と恒心毅力でもって自分自身へ厳しく要求し続ければ自然宇宙奥義真実義受け取れるようになるでしょう。
ある修行者として先知先覚的全方位全知的境地まで到達するためには智慧心法持ち合わせておかなければならず、その道程では法衣(金剛護体)が私たち自身守護しエネルギー増強します;
これは霊体洗礼(浄化)真剣実践伝授中でもあり、人助け世渡り(迷える人々引導)、聖地巡礼会靈(聖山引導)など上界意志遵守すれば投胎転生宿願達成できるでしょう。
しかし一つ注意すべき点があります:上界から受信すると同時客観的視点持ち内容見極め静かになって分析してください。現在多くの場合靈修者試練ほぼ智慧試験なのですよ!
もし智慧不足なら早急判断決断下すべきではありません盲目的にならず上界試練とは神職として判断力分析力実行力備えているかどうか試されています。また実行力強すぎ学徒ほど速攻突っ込む傾向あるため死ぬ可能性高まります。(退道或いは脱落)
功徳積み重ね作業下でもっと良好結果得たい場合累世宿怨清算達成、「肉身了業」そして精神浄化向上段階逐次達成「灵性解脱」信じています!これは大多数 修行者夢見望む目標ですね!
しかしながら願力恒心毅力そして「 修 行助 緣 」 必要不可欠 これこそ我々靈 修 者 の 福 分 ですね!
道志向 心 の 修 行 者 や 靈 修 者 は 静か に 努 力 を 重ねています 。もし 修 行 者 が 自 努 自 強 を 理 解 せず 内省 ( 自己反省 ) に努 め な かった場合 、 精進 鍛 錬 、 身 心 の 鍛 錬 ( 丹 道 ) が 不 十 分 な 状態 になっ てしまいます 。
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自分 が 自 修 自 渡 に 到達 出 来 な かった 場合 、 他 人 を 覚醒させる方法 は 一体どうなるのでしょう?それどころか 無意識 の 中 に より 多く の 業 力 を 生み出してしまう可能性もあります 。どう やって 世渡り 人助け ができるのでしょう?
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靈 修 自 性 の 修 持 は 本 来 の 精 神 ( 先 天 的 精 神 ) を 啓発して 行うものですが 、 日々 精進せず 時折しか 修練しない場合 、 自身 の 光 輪 は 徐々 に 弱まり 散失します 。一般的には 「 仏 法 」 に 「 八 万 四 千 法 門 」 と 言われ 、これは 仏陀 が 繰返される 煩悩 対策 として 設立された 法門です 。
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道 法 三 千 六 百 門 、 一 つ 得 れば 万事 成就 。 百 派 千 門 は 全て 至 道 に 帰結します 。 一 方 専 精 偏 執 一 道 を 実践すれば 必ず 成 功の日 が 来ます 。 道藏 深遠 難 読 解 , 明 師 に よって 段階 的 指導 と 修 練 が 必要ですが 、 難しい 道路でも 恒 心 毅 力 努 力 次第 克服できるでしょう 。
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修 行 や 靈 修 最も 懸念される事柄 は 人 心 作 崇 と自己中心 的 思考 , 天理 ( 天 道 ) を 知ろうともせず , 灵 脉 属于どんな 根源なのかわからないまま迷走しています。その結果 得たもの全て 無 (零) に帰結します。それならどうすれば自分自身 を創造できるのでしょう?
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修 行 者 が 所属先不明になる理由 は 人 意 が 天 意 より勝ってしまうことであり,執着過多,意思不堅固,お世辞好き,真偽判別困難,自覚なしという状況です。「花言巧語」を聞いて好みに迎合すると,それこそ本命尽き果て努力不足,故而 道 成就困難となります!
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あまりにも称賛され過ぎた場合,自負につながります。「自分だけ正しい」と思った瞬間,他人意見受容困難になります。他方,既存証道仙仏 経典善知識活用して精神資糧補充 (良知良能) 智慧育成出来れば,スムーズ且つ向上できますよ!
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真正なる 修 道 ・ 真 理 の 路 に 入ろうと思えば , 靈 修 の 路 は 決して歩めぬものではなく,一歩一歩慎重踏み出さねばならず,多く執念欲望捨て去った時初めて前途見えるようになります。それぞれ 個別 的 灵 源 和 灵 脉 異なるため, 師匠訪問,道主帰依 主神金線接引必須となります 。
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今 生 功 德 因 緣 整った 上 , 学ぶべき 学習路線 明確化 明 師 引 導 必要不可欠 , 明 師 引薦仙佛 順序伝授才能 各過程理解出来ます。有志ある方のみ仙佛ご加護受容可能,「捨」あって初めて「得」が成立します。「捨」が無ければ「得」無し,全て天意順応すれば満足感得られるでしょう。
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by-鳳凰山脈 慈凰宮
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