経を唱え、禅定する
知識は書から得られ、智慧は心を静めて考えることから得られる。経を唱えることは智慧を啓発する方便であり、習慣や性質を変えるためのものである。自分の心の智慧だけが抑え込むことができる。
経を唱える:仏教を学び法を求めるのではなく、聖人の言葉を借りて身心霊を浄化する。
経を唱える:身に付いている怨親や法界の生き物たちを浄化し、自ら去っていくようにする【自心は浄化されなければならない】。
経を唱える:自身の磁場を強化し、法界の生き物たちから干渉されないようにする。
経を唱える:智慧が開かれる。千回唱えれば、その意味は自然と解ける。言うべきことが言えず、行うべきことが行えない【学ぶものではない】。
経を唱える:恐怖や疑念、不安、迷いから解放される【福と禍は相依存し、すべて自心によって作られる】。
経を唱える:習性が消え、性質が変わり、慈悲の心が起こる。【自然に変わり、自ずと現れる】。
一字一音〔ゆっくり〕、一字念じたら前の字は忘れる。
経文の意境が理解できず、暗記せずに念じ終わっても記憶に残らない。
仏菩薩の境地では、自分の心を見ることができず、その門には入れない。
念じる中には一つも念(誰が念じているか)がない。一念は心識でもある。
念じながら無念であり、一気に通じ合い、「なるほど」と思う。【その通り】。
経を読む前に、まず3〜5分間静かになり、自分の心を見るべきである。その自分の心こそ仏であり、自ずと導いてくれる。「もし霊的な状態で経を読むならば、その方法も見つかるだろう」。
心識が手放された時、自ずとエネルギーが経読む行為に作用し、自分自身も明確になる。それこそあなた自身である。
経読む過程では、脳内に過去人生のすべて事象が浮かんでくるので、それに流されず、一つの思いで経読みに集中する。一段の日数で自然とそれは減少し【ゴミ捨て】となる。その時には無念になり【脳内には一つも思いなし】。
もし経読みにおいて法界生物たちから光臨された感覚があったとしても、それに気を取られず、ただひたすら経読みに集中すること。
課題が終わった時には、もし去っていかなければ敬意ある言葉で、「今何という経典を読んだか」と述べ、「課題は終わりましたので、お帰りいただけます」と伝えること。
もし経読みにおいて口調が突然変わった場合【各地方方言口語】、自分本来持っている声調ではなく驚かず、一旦読み止めて静かになり再度敬意ある口調で「干渉しないようお願い申し上げます」と伝え、その場で聞いているだけでも構わないと言うこと。
経読んでいる時に体に何らかの反応(例えば酸痛や痺れ・痒み・硬直など)があった場合でも気持ち散漫にならず、一つになって読み続けることで【自然と身体と心は調整される】。「眠い」場合には少し寝て起きてから再度読む。しかし身体全体から冷たい感覚(手足先から冷えてくる)や背中から冷気感じた場合には、一旦止まって歩くなどして翌日再度読むこと【身体反応によってこのエネルギーへの警告】【良い意図ではない】となりますので注意してください。
経典読み終わった際には、そのまま閉じたりせず身体軽安になるまで静坐してから閉じましょう。
三歳児でも経典は読めます。しかし世間には悟った者はいったいいくらいるでしょうか? 自分自身なりの読み方見つけ出しましょう。それは非合法? 心静かな状態へ導くものです。
初期段階では『普門品』または『阿弥陀經』などがおすすめです。一部約40分程度です。また心がより定まれば1部約1時間程度になります。
宗教信仰がありますので教義や教典中心となります。
by-劉鴻銘老師
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