霊識初醒(22)
休息は、より長い道を歩むためのものです。修行の目的は何でしょうか?仏教では言います: 菩薩は因を恐れ、衆生は果を恐れる。霊識が初めて目覚める者にとって、最初の修行の目標はどこに置かれるべきでしょうか。
自分が修行したいという初めの思いが決まります。それによって、覚醒への道が険しいものになるのか、それとも平坦なものになるのかが決まります。この道を歩むことは、多くの障害や困難、貧困や苦しみに満ちた生活なのか、それとも自由で楽しい生活、幸福に満ちた「満足」や「安逸」、「喜び」に満ちた生活なのか。悩みが次第に薄れていくことも決まります。それはあなたが最初に抱いたその一念によるものです。修行とは、自身の悪習慣や「心念」を修正し、本来持っている良心や良知を呼び戻すことです。あなたは修行の道を歩んでいます。その際、自分自身を常に見つめ直していますか?正しい道を歩んでいるのでしょうか、それとも曖昧な状態で他人の言葉や文献に流されて、無計画に修行しているのでしょうか?自分が望むものを拾い集めて、法に従って行動しています。
行者は常に自己反省すべきです。修行の道は苦痛と悩みなのか、それとも喜びと安逸なのか。もしあなたがこれまでずっと苦しみに満ちていて、悩みが絶えないなら、自分自身を反省して正しい道を歩んでいるのか考えるべきです。修行とは苦から離れ楽しむことです。しかし今、ますます苦しくなり、悩みも尽きないのであれば、それは正しい道なのでしょうか?もし覚醒するためには苦から始めなければならないというのであれば、それもあなた自身の選択です。また、自分自身が累世から深い業障を抱えていると思うなら、そのために磨難や貧困を受け入れるべきだと思うなら、それもまたあなた自身の選択です。この苦しみと喜び、貧困と通達は一体二面ですが、あなたは痛みと貧困の道を選ぶことになります。その結果として障害なくしてどうして進むことができるでしょうか。経典にはこうあります: 思考を転換できれば、それこそ如来となると言います。「覚者」とは何でしょう?苦しみを認識することで離れられます。そして喜びの日々が生まれます。悩みを認識することで断ち切ることができます。菩提もまた日々成長します。それは今この瞬間、一念によって作用します。それについて観察し、省察してください。一生無駄に過ごさず成就しましょう。
未来、生まれて人となり、人として生きる道を歩むこと。それ以外にはありません。他人より良い人間になり悪い人間にならないよう努めることです。人間として完璧ではなく、一方で聖なる道へ妄想すること。本末転倒です。仙仏神聖な境地とは、この世で人々の道徳精神を極限まで発揮したものです。その上で、自身について反省し、本来持つべき役割について考えていますか?自分自身として十分になっていますか?もし基本的な必要すら果たせていないなら、そのほか何事にも意味がありますでしょうか。他者から認められるために修行するわけではありません。他周囲から異論がなくても他人へ影響力があります。それならばあなたは正しい道を歩んでいます。しかしもしこれまで親友との距離がどんどん広まり、更には家族との絆すら失われてしまった場合、一体何のためにそのような道を進んでいるのでしょう?覚醒とは背反して進むことでしょう。そしてもし自ら目覚められないのであれば、この地獄こそ現在直面している現実なのです。「往生」などではなく、「苦哉」「哀哉」は全て自心によるものです。
by-劉鴻銘老師