修行の目的は自分自身を知ることです。
外面的な事象にこだわることではありません。
どんなに修行しても、結局は行き詰まります。
人の宿命は生老病死から逃れられません。
この世には、生老病死の束縛から逃れることのできる者はいません。
不老不死は魅惑的な妄想です。
生命の意味は人間性の本質を理解することにあります。
生老病死を経て、歳月が過ぎ去る中で、どのように冷静に向き合うかが重要です。
この生命の主宰者はあなた自身です。
したがって、修行の第一歩は自分を見つけることです。
自分を見つけて初めて、それを理解し、調和し、自分らしく生きることができます。
しかし、人はしばしば自らの見聞や感覚に騙されます。
善悪を見て!是非を聞いて!良し悪しを感じて!正誤を知っているのが自分です。
この見聞や感覚は、対象と関係する因縁によって生じます。
逆に、それらを見ることができる主宰者が誰であるかを忘れています。
したがって、見聞や感覚の主人を見つけるには金脈を探すようでなければなりません。
金脈の所在を見つけて初めて金鉱を掘り出すことができます。
この金鉱から精錬して真金を得ることができます。
盲目的に修行しても石から金は得られません。
そのような修行ではただ土塊しか得られません。
人間の見聞や感覚こそが金脈なのです。
華やかな世界には善も悪もあり、是非や良し悪し、正誤があります!
この見聞や感覚は因縁と境によって生じます。そして変化します。
もしこの見聞や感覚で修行すれば、石も結局土になります。
考えてみてください、因縁がない時には善悪や是非など存在するでしょうか?
因縁ある時には、自分を見ることのできる主宰者が誰か知っていますか?
したがって古い教えにはこうあります:善悪について考えない時、それこそ本来の人間です。
もし(信じれば)それはあなた自身です。
しかし、自身の観念や認識に左右されることもあります。(習性未除秉性未去)。
したがって金鉱と同様に、不純物を取り除いて精錬する必要があります。
修行すれば、この見聞や感覚から真金を得ることができるでしょう。
by-劉鴻銘老師
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