真気の修練…下篇
静坐の中で私たちは「静」を求めるだけでなく、さらに重要なのは「忘」を求めることです。道教の多くの聖賢や真人は、物と我を忘れた境地の中で自己と自然宇宙が一体となり、宇宙の大道や人生の真理を悟りました。
静坐の目的は先天的な気を修練することであり、胎息を修練することは「返本還源」に帰るためです。先天的な呼吸法を取り戻すために腹式呼吸を修練します。吸気時には腹部が膨らみ、吸い込んだ後に少し息を止めて約2秒数え、その後ゆっくりと吐き出します。吐き出す際には腹部を圧縮して凹ませます。
吐気の時間は遅く長くするべきです。このように繰り返し練習することで、自然に気感「真気」の修練が生まれます。吸気時には腹部が膨らむことによって腹部圧力が増し、静脈血液が心臓に戻りやすくなります。
気が満ちた後に息を止めて数秒間待つことは、肺細胞の酸素交換時間を増やし、血液中の酸素量も増加させます。これは体内の細胞組織を活性化させることにもつながります!
修道者にとってエネルギー体への恩恵…「混元一気」のエネルギー体は修行者の向上の主要な因縁となります。この時、修行者は非常に穏やかな気場を感じ、その結果として軽やかで心身ともに快適(ぼんやりとしていて神秘的)になります。
私たち人間の五臓六腑が必要とするものは「真気」です。静坐で氣を練ることで…後天的な酸素を取り入れ意識で氣を導くことで、酸素が「真気」に変換されます。これは非常に少ない修行者が注意する部分ですが、養生や煉氣もまた、有為法から無為へと徐々に進む必要があります。
老子が言う「虚その心, 実その腹」…腹式呼吸法によって実現される方法です。胎元の修練とは、腹部が実質的で損なわれないことを指します。精固不損であれば氣旺盛になり、氣旺盛ならば神も充実します。これもまた道教による段階的な修練…煉精化氣の基本功法です。
《呂祖百章句》曰:
「無念方能靜, 靜中氣自平。氣平息乃住, 息住自歸根。歸根見本性, 見性始為真」。
真人呂洞賓は虚無守靜という静坐功態の下で生命が起点へ戻る過程を見ることができました。彼は静中で「復帰無極」しない限り宇宙本体大道と接続できず、天体との共振によってのみ養生延寿や智慧・潜在能力開発できると考えました。
丹田は精を蓄える府であり同時に煉精化氣する場所でもあります。丹田内の真気が充満して丹となった後、本源培元しエネルギーを貯蔵できます。また丹田は任脈・督脈・衝脈経絡气運行の起点および帰縮点でもあります…。
同時に血气集まり真气昇降する生成地でもあります。丹田は生命之祖、生气之源泉、陰陽之会なので歴代養生名家も下丹田の修練について非常に強調しています。
《道樞》云:
「坐忘者長生之基也, 故招真以煉形, 形清則合於氣;合道火煉氣, 氣清則合於神。體與道冥, 其謂之得道者矣」。
《道樞》巻三又云:
「學道以清靜為宗, 內觀為本者也, 於是深根固蒂, 使純氣堅守, 神不外馳, 至於坎離交際而大藥可成矣」。
修練功法は実際的な修練中、それぞれ人々の先天的基盤および後天的素質によって制限され、多くの場合、小周天通過には9年以上かかる可能性があります。当然ながら慧根良好・悟性高い上等根器者の場合には修練時間も短縮される可能性があります。
修練本質とは、人間本来持つ先天性への不断なる開悟です。その力強さや速さは、本性開悟度によって決まります。本性層層開悟すればこそ力強さも急速に上昇し、一歩一歩通じていきます。そのため功法優劣・基盤良否・道徳教育および意志力なども、本性開悟には大きな影響があります。
もし本性が開悟されない場合…力強さは常にある段階で停滞します。先天的な気を修煉するには多年苦労し勤勉な努力と悟道なしでは得られません。一部志ある修道人には、自ずから自然になり続けて開悟・浅い理解・漸進的理解・頓悟へ至ります。当然ながらこれは 修行者自身によって真剣かつ実践的な証明と検証が必要です。
妙德法語:
世俗紛擾 , 唯心所造 , 唯心所擾。
性為欲牽 , 靈為心絆 , 清靜為德。
貪欲嗔癡 , 癡迷顛倒 , 遣欲其心。
化轉迷頑 , 心法為要 , 心靈常靜。
二六時中 , 審視慎觀 , 靈心慎發。
發乎其中 , 動乎其微 , 觀照其念。
執此以往 , 欲本無存 , 常清常靜。
真常應物 , 欲不擾心 , 物不擾靈。
煉心靈清 , 煉靈純真 , 煉炁化神。
心靈真靜 , 神靈純一 , 先天炁存。
by-鳳凰山脈 慈凰宮