霊識の初覚醒(32)
霊識の初覚醒は、霊識が目覚める過程です。この初覚醒の段階で最も迷いやすいのは、初めて目覚めた者が自分自身の霊識を理解していないことです。霊識の働きを理解していません。
疑念を抱いた心で自らの変化を見つめます。しかし、自身の習性は取り除かれず、本来の性質も変わっていません。生まれながらに持っている智慧はまだ顕れていません。智慧がないために、すべての事務に対処できません。この瞬間に他人から誤った情報を受け取ったり、不善な法界と繋がったりすると、誤った法界情報に合わせて踊ることになります。外的な神秘的な神通や変化を一心に追求し、この境地に耽溺し忘れ去ります。誤りを正しいものとして積み重ね、誤った情報に従って進んでいくと、次第にそれが意識に深く根付いてしまいます。偏執が狂気となります。そのため、この世には多くの神仏が転生し、再び菩薩として願いを持って現れることがあります。この生で功徳を積み、衆生を助けることはどれほどでしょうか。また、どんな徳や能力によって衆生は救われるのでしょうか。妄って神仏の転生や菩薩の再来と称することがあります。経典には「心外で法を求めることは外道の法である」とあります。
自心こそ道です。他所で道を求めても無駄です。仏とは自心が覚醒したものです。祖祖相伝するものはただ一心のみです。修行は心にあり、もはや法ではありません。如何にして自らの心を清めるか、それだけです。また法とは心の働きなのです。もし法を執着して修行する者があれば、それは舟に乗って河を渡りながら舟を捨てず、そのまま舟を持ち上げて歩くようなものです。それこそ法による束縛です。もし自心の働きを理解すれば、法は心から起こり、また心から滅します。法には善悪があります。しかし、自身の心には本来般若の智慧が未発達であれば、どうやって善悪の法を区別できるのでしょうか。壇経には「善も悪も思わない。それこそ本来の姿だ」とあります。その時善悪について執着せず、本来の姿を見ることができるのでしょうか?禅家では「一度悟れば永遠に悟り続ける」と言います。一瞬でも悟れば、その後も迷うことなく続きます。「頓」と「漸」の違いなど迷う者への言葉です。如果自分自身의 작용을 깨달으면, 경계에 따라 마음이 선악의 생각을 일으키지 않습니다. 외부에서 일을 처리할 때도 마음은動じません。しかし内なる自己には善悪があります。それについて考え、自省します。その時々で必要なことを為し、一念無私であり、至誠なる心だけなのです。
by-劉鴻銘老師